2015年8月、物件はまだ見つからないけれど、また三豊市に行きたいなと思っていました。前回、台風で行けなかった志々島や、徳島県に近い財田方面も見てみたいと考えていたからです。
幸いなことに、また新たな物件情報を地域の方からいただき、不動産会社からも荘内半島の物件の紹介が来たので、お盆前に行くことにしました。
三豊市に行く途中で、岡山県の早島町にある、中村功芳さんのくるまざのもう一つのお宿に寄りました。渋谷ヒカリエのワークショップで知って、ぜひ行ってみたかったゲストハウスです。
(※2015年当時。その後移転されたそうです。中村さんのくるまざのある宿の一つです)
もともと早島町では畳の原料となるいぐさ栽培が盛んだったそうで、ゲストもコースターを編んだり、機織りをすることができました。その地域の文化を手軽に体験できるって、とてもいいなと思いました。
そして、二回目の三豊市訪問。7月は三豊市の移住支援制度を利用して、お遍路さんの宿に泊まったのですが、8月は荘内半島に移住されたご家族のお宅に泊めてもらったり、志々島のお祭りに参加して島の公民館に泊めてもらったり、財田のゲストハウス「二升五号」を利用したり、かなり地域に密着した夜を過ごしました。
泊めてもらったファミリーには、ちょうどうちと同い年の子がいたので、仕事や学校、毎日の暮らしのこと、家を手作りってどのように作ってるの?少人数の学校はどんな感じ?野菜はどうやって育ててるの?生活費って?と、いろいろ聞かせてもらいました。
そして毎日会社に行ってサラリーをもらって、という生活を長年していた私にとっては、暮らしに直結することを自分たちでやる、ということを、何となく頭ではわかってはいたけれど、かなり衝撃的かつ感動的でした。
お金を稼ぐ時間は短くても、暮らしを豊かにする時間は長くて、食べ物や洋服、家まで何でもなるべく自分たちで作って、と、決して全てはまねできないけれど、初めて「ここで生活する」というイメージが持てた気がしました。
(手作りカヌーに乗せてもらいました!)
荘内半島の向かいに位置する、樹齢1200年という大楠のある志々島では、神戸から移住してカフェをされているご夫婦と、たくさん話をしました。
普段は20人弱の島ですが、お盆でお孫さんや親せきが帰省していて、盆踊りが行われたり、島はとてもにぎわっていました。
そして、旅人や移住者、地域の人をつなぐコミュニティハウスのような、財田のゲストハウス「二升五号」。豊富な人脈があり、いろいろな取り組みを企画されているホストはじめ、ここで出会った人たちにはとても刺激を受けました。
三豊市といっても7つの町があってそれぞれに特徴があり、市内を見て回った結果、
住むならやっぱり海があるところがいいなということで、荘内半島と仁尾町を中心に探すことにしました。
空き家バンクや不動産屋さん、地域の方の紹介でいくつか見た中で、仁尾町の南に位置する曽保の物件が一番の候補となりました。そこはいわゆる昔ながらの古民家ではないけれど、すぐに住めそうな日本家屋がありました。ただ、もう一方のコンクリートの建物は傷みが激しく、かなり手入れが必要でした。
(門入ってすぐ。森のようでした)
ちょうど燧灘(ひうちなだ)に面していて、水平線に沈む夕陽がすばらしく、後ろは山々に囲まれて、ロケーションは理想の上をいっていました。物件を紹介いただいたカフェも近くにあり、いろんな話を聞いて、市内の各地域で同年代の人たちが、地域のために活動しているんだなということもよくわかりました。
この旅で出会った人は、みんなあったかくて、笑顔で包んでくれるような人たちばかり。今でもずっと、つながっています。
(Aya)